ショートストーリー

初めまして!治療家の久納将之(ひさのうまさゆき)と申します。

私は「治す!治したい!」と強い想いのある方の為に存在します。

治療家を目指したきっかけ

2015年に開業した久納。

なぜ愚かなほど治療を追及する猪突猛進のお馬鹿さんになったのか。

 

時は中学生の時にさかのぼります・・・

 

柔道をしていた久納は「強くなる!」このことだけを考えて日々の練習だけでなく自主練で体を追い込んでいました。

中学2年のとある練習中、我慢できない程の激痛が腰に襲い、痺れと痛みがひどく畳に倒れ、動けなくなってしまいました。

 

診断名

《腰椎分離症》

 

「ちょっと痛いな、でも絶対あいつに今度は勝つんだ!」

「痛みなんて気持ちで乗り越えろ!!」と自分を鼓舞して追い込み続けていました。

 

結果的に久納の体は悲鳴をあげ、悲鳴を聞きすらしなかった久納に対して身体は実力行使としてケガを招いたのです。

 

分離すべり症とは骨折です。

筋肉の痛みと違い、そうそう良くなるものではありません。

コルセットで固定するしかなく、最後の中体連も無念で終わりました。

 

そして高校進学後も柔道がしたくて小城高校へ進学しました。

受験勉強中は無理をしなかったので落ち着いていました。

 

しかし柔道を再スタートするとすると早々にあの痛みが・・・。

練習をすればするほど動かなくなっていく体・・・

実は2本の骨の内1本はコルセットでつながったのですがまた再骨折。

 

診断名

《腰椎分離すべり症》

 

悪化して、安定させることができなくなった骨は前に滑るようになり、筋肉だけでなく、神経の異常も出すようになりました。

 

その状態でまた無理を重ねるもんだから、腰だけでなく膝の靱帯や軟骨、骨折も度々遭う事に・・・。

精神的にも追い込まれ、頭痛や痔など自律神経の異常も目立つようになりました。

それでも負けず嫌いな性格です。

耐えながら過ごしました。

 

『悔しい!悔しいよ!

誰か助けてよ!』

 

仲間からは「お前もっと頑張れよ!」と言われるも満身創痍。

いう事を聞かない体を前に何度枕を涙で濡らしたことでしょう・・・。

 

痛みと痺れ、体調不良で体はいうことを聞きません。

試合も練習も・・・そしても投げ出したかった・・・。

 

ボロボロになりながらも、「何と言われようと最後まで続けよう!」と途中で投げ出すことなく部活を引退することができました。

高校柔道現役を終えると何とか続けてこれた根性とこんな想いだけが残っていました。

「こんな思いを周りにさせたくない」

この想いが久納を治療家への道へいざなったのです。

いきいき鳥栖北整骨院・整体院